指導者としての役割と目的、決まっていますか?
スピードスケートの小平奈緒さんの言葉。
目標に順位や記録はあったが、
それは手段にすぎなくて、
目的には必ず「唯一無二の自己表現」があった。
「唯一無二の自己表現」とは、
人と比べようがないもので、
生きる軸としてどっしりと自分の中にあるもの。
生き方を氷の上にのせたい。
表現を磨いているようで、
そうではなく表現者として
磨かれていることに気づけた。
(平昌五輪で金メダルを獲得した後)
新しい景色を見に行きたい。
(北京五輪後)
成り遂げることはできなかったが、
しっかり自分なりにやり遂げることはできた。
知ることを楽しむ
色々な人と関わり合いながら、
学びを育てていく。
金メダル、世界記録を目指すことは大事だが、
その先に自分が思い描く生き方を
持つことがさらに大事である。
このような思考の持ち主の選手を指導する時、
指導者はどう関わることが効果的なのか?
競技の結果を目的としているのではなく、
その先の自分の人生を目的としている選手。
技術・体力指導だけでは、十分ではない。
では、何を教えていくのか?
教えるのでないのかもしれない。
人の人生を教えて決めることはできない。
決めるのは本人。
指導者は何をするのか?
ある選手が優勝した後に
指導者に言った言葉を思い出した。
「僕から何も奪わなかったから」
#僕から何も奪わなかったから
指導者が良かれと思って関わったことが、
選手にとってはありがた迷惑なことがある。
どうすればいい?
お互いを知ること。
そして、対等な関係性を築き、
意見が言い合える
安心な環境を作ること。
指導者が学ぶことは沢山ある。
名選手は名指導者にあらず。
選手と指導者は別物である。