常識と偏見

「常識」

社会的に当たり前と思われること。

社会的とはどの範囲のことを言うのだろう?

私の常識は、当たり前だろうか?

例えば、小学生が使うランドセル。

男の子は、黒色。

女の子は、赤色。

私の常識である。

今の小学生の色とりどりのランドセル。

私の常識は、非常識になっている可能性がある。

私が押し通せば、

それは偏見になりかねない。

そんなことが世の中に

はびこっていないだろうか?

スマートフォンで

多様な学習が可能になったのに

学校内では、使用禁止としている学校がある。

これって、常識?

それとも偏見?

大学では講義中にパソコンを使う学生。

板書を写メで済ます学生。

これって常識?

会社では、どう扱われている?

何がこのような状況を生み出しているのだろう?

学びを継続しているかどうか。

知識の違いが、常識を偏見に変える。

日本の社会。

まだまだ偏見が主体となっている部分を目にする。

学校の校則。

誰が決めたのだろう?

大人と未成年者が共存する組織。

規則(ルール)は、必要。

問題なのは、

どのように決めたかと言うこと。

スポーツの社会にも同様のことはある。

常識と偏見、

考えてみませんか?

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