『視点』の多少が、思考の質に与える影響
スポーツの出来事に対しての捉え方は、
人それぞれ違う。
例えば、身近なチームの成果が、
全国大会への出場権を
あと一歩のところで逃した時、
その事柄に対しての意味付けは、
多種多様。
「よく頑張ったね」
「惜しかったね」
「あぁ~あ」
「あれさえなければ、勝っていたのに!」
「結果」に『視点』を当てた
意見が多いような気がする。
その結果をもたらした「要因」への『視点』
「選手が変わった要因は何だろう?」
「その要因は、何が創り出したんだろう?」
「どう関われば、その要因を作り出せるんだろう?」
様々な事柄が起こる。
その事柄には、何も意味はない。
人が意味付けをしているだけ。
『視点』の当て方で、
事柄は変わってくる。
持っている『視点』が
多い指導者と少ない指導者。
スポーツ指導に関して
違いはあるのだろうか?