具体的な(わかりやすい)言葉が必要なわけ
哲学対話で多くの気づきがあった。
参加者の方はもちろん、
私も学びを得ている。
ファシリテーターとして心がけていることは、
発言者の言葉を
いかにして参加者に理解できるようにするか、
ということである。
人は抽象的な言葉を使う。
発言者自身は理解しているのだが、
人に伝える場合は、
具体的な言葉に変えないと
他人に伝わりにくい。
私 :「高所で地上ではできた行動ができない要因は何がありますか」
発言者:「恐怖心」
私 :「あなたに恐怖心を抱かせるものって、何ですか?」
発言者:「落ちること」
私 :「落ちることが恐怖となる理由は、何ですか?」
発言者:「死ぬかもしれないから」
私 :「死が恐怖心を抱かせるのですね」
「高所から落ちたことがありますか?」
発言者:「ないです」
私 :「経験していないのに、落ちると死ぬと思う理由は、何ですか?」
発言者:「ある程度の高所から落ちた経験から、もっと高いところから落ちたらヤバいと思うから」
私 :「学習したということですか?」
発言者:「そうです」
私 :「高所でも平気で普段の行動ができる人がいます」
発言者:「そんな人います?」
私 :「学習していない人です」
発言者:「あっ! 幼児」
私 :「話が変わりますが、スポーツで試合になると普段の力を出さない人を見ますが、なぜ出さないんでしょう?」
発言者:「恐れているからです」
私 :「何を?」
発言者:「失敗を」
私 :「失敗って怖いことですか?」
発言者:「イヤなことです」
私 :「怖いとイヤは同じことですか?」
発言者:「・・・・・・」
私 :「最初に話した、高所を恐れる場合と似ているような気がしますが、あなたの考えは?」
発言者:「確かに!学習したのかもしれない」
私 :「何を?」
試合で普段の力を出さない人は、
何を学習したのか?
「いつ」
「どこで」
「誰から」
「何を」
「どのようにして」
学習したのだろう?
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