二つの意識の割合

社会学に関する資料を目にした時、

気になった言葉があった。

「コンサマトリー」と「インストルメンタル」

カタカナ言葉で嫌な感じがしたのだが、

解説に書かれていた説明に意識が向いた。

「〜がしたいからする」という行動を

自己充足的(コンサマトリー)な行動という。

「〜を目的とする」という行動を

道具的(インストルメンタル)な行動という。

「楽しい」と「うれしい」

「主体性」と「自主性」

「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」

同じ匂いがした。

前者の言葉は、自分の内側から発生し、

後者は、外部から発生する。

どちらが良くて、

どちらが良くないということではない。

バランスが大事。

親という家庭教育者として振り返ってみると、

子供が生まれた時、

「元気に健康に育ってくれればいい」

と思っていたのが、

成長するにつれて、

「〜になって欲しい」「〜にさせたい」

という意識に変わっていった自分を思い出した。

スポーツ指導者の意識。

「スポーツを楽しんで欲しい」

と思って指導していたのが、

いつの間にか

「勝ちたい」

「全国大会に出たい」

という意識に偏ってはいないか。

意識が変われば行動が変わる。

今の自分を振り返ってみた。

目的を持って行動している。

道具的な行動である。

と同時に実践していることは、

楽しい。

自己充足的な行動である。

楽しみながら目的を持った行動をしている。

充実している。

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