『解釈』は1つではない
『出来事』は1つだが、「解釈」は1つではない。
「解釈」は、人の数だけある。
例えば、ハンドボールの試合で
ボールを持ったA君が
守っていたB君にぶつかり、
A君が吹っ飛ばされた『出来事』
A君は、吹っ飛ばされたんだから
B君の反則(プッシング)と主張することは「解釈」
B君は、A君がぶつかってきたのだから、
A君の反則(チャージング)と主張することも「解釈」
そのプレーを見ていた観客の主張も「解釈」
人は、自分のフィルターを通して物事を見る。
だから、食い違うし対立する。
どれも自分に対して嘘偽りのない「解釈」だから。
大事なのは、話し合うこと。
偏ったコミュニケーションが亀裂を生む。
自分以外の主張を
「受け付けない(否定・非難)」のではなく、
「受け入れる(受容・共感)」でもない。
「受け止める(承認)」。
「承認」ばかりが増えたら、
勝手なことをする者が増え、
混乱することになるという人がいる。
だから、「ルール」がある。
