伝えることの大変さ
先日、話の中で
「篤志面接員(とくしめんせついん)」
と言う言葉に出会った。
初めて聴いた言葉なので、
何をする方ですかと訊いた。
日本の矯正施設内で、
悩み事相談に乗ったり、
また、矯正のために
面談や講話を行ったりする
ボランティアとのこと。
話の後、私は自分で調べてみた。
こんな活動があるのかと、
新たな興味が湧いた。
この行動について振り返ってみた。
私は、なぜ調べてみようと思ったのだろう?
普段の自分を振り返ると、
知らない言葉、
特にカタカナの言葉を聞くと、
拒否反応を示してしまう。
「なぜ、日本語で話さないんだろう?」
意味を訊けば、日本語で説明するのに。
最初からなぜ日本語で話さないんだろう?
相手はあなたと同じ専門家ではないのに。
横文字に対する私のコンプレックスは、
どこで生まれたのだろう?
英語教育。
英語と聞くだけで、
難しい、わからない、できない、
と言う感情が湧き上がる。
そんな意識の人がいると言うことを
分かった上で話をする人は話してほしい。
何のために話をするのか?
伝えたいからでしょ。
今回、こんな私がなぜ調べようとしたのか?
知らない言葉に対して。
日本語だったから。
日本語なら何とかなると思う自分がいたから。
カタカナだと
調べてもさらにカタカナが出てきて、
こんがらがる経験があるから。
スポーツ嫌いの人と
カタカナコンプレックスの人。
どこか共通点を感じた。