罰に使われるスポーツ
「はい、遅刻。グラウンド5周走ってきなさい」
「負けたチームは、腕立て伏せ20回」
よく見る光景である。
スポーツが、
「罰」として使われている。
スポーツの「楽しさ」を
教えることがスポーツ指導なのに、
走ることの楽しさを教えるべき立場の人が、
「罰」として走ることを利用している。
料理を教えている人が、
「時間通りにできなかったから、罰としてキャベツ半分を千切り」。
英語の指導者が、
「罰として、英単語50個ノートに書きなさい」
こんな場面を見たら、どう思うだろう。
「楽しさ」を教えようとしているのに、
「辛さ」を与えることとなる。
スポーツを罰として使うことは、
まだまだ普通に行われている。
さらに、「苦しい」、「辛い」ことが、
スポーツにおいては
効果があるように思われている。
同じことを行っても、
「楽しく」行うことと、「いやいや」行うことでは、
成果も効果も違ってくる。
「罰」としてのスポーツ利用。
少なくしたいし、なくしたい。
